膨らまない話。

Tyurico's blog

「語り継いでいく」のではなくとにかく記録して残す努力をすべきではないか

今日は8月9日。

地獄のような過酷な体験を生き延びた人たちもいずれこの世を去っていく。
自らの体験を語ることができる人はやがて一人もいなくなる。そうして月日が経って風化していって忘れてしまえばまた同じようなことになるかもしれない。
 
そこで本当にやるべきことは後世の語り部が「過酷な体験」の語りを引き継いでいくことだろうか。
善意に発した取り組みであっても、私はそれには疑問を抱く。その人たちの苦痛と悲嘆、そこには経験していない者が絶対に越えることのできない断絶が存在している。その断崖の縁で立ち止まることしかできないとまず知るべきではないか。
「想像を絶する」という手擦れのした慣用句があるが、本当に文字通り「想像を絶する」状態、想像もできない状態で死んでいったのだ。
 
イスラエルではホロコーストの生存者の語りが立体映像として記録されている。
それは無理でも、文字でも録音でも動画でもとにかく本人の語りをできるだけ多く残していく努力の方が重要なのではないか。その人自身の言葉を、語りを、表情を、それでもなお語り得ないものがあることを。

そしてそれはそもそも国がすべきこと、責務だろう。
 
tyurico.hatenablog.com